高木家文書デジタルライブラリー

文書群の概要


登録文書群
旗本高木家文書 西高木家高木家文書名古屋大学附属図書館所蔵
高木家文書(新規分)名古屋大学附属図書館所蔵
水野家文書名古屋大学大学院人文学研究科所蔵
高木家所蔵文書個人蔵
福長氏旧蔵西高木家文書大垣市所蔵
西高木家陣屋跡主屋襖下張文書大垣市所蔵
岡田家文書海津市所蔵
筒井稔氏所蔵高木家文書個人蔵
名古屋城振興協会所蔵資料一般財団法人 名古屋城振興協会所蔵
吉備慶三郎氏寄贈文書和歌山市所蔵
岩須自治会資料岩須自治会所蔵
多聞櫓文書国立公文書館所蔵
小寺家文書(Ⅰ)大垣市所蔵
東高木家美濃高木家文書名古屋市蓬左文庫
東高木家治水文書(一部公開中)名古屋大学附属図書館所蔵
東高木家文書名古屋大学附属図書館所蔵
筒井稔氏所蔵東高木家文書個人蔵
大倉精神文化研究所所蔵高木家文書大倉精神文化研究所所蔵
國立臺灣大學圖書館所蔵東高木家文書國立臺灣大學圖書館所蔵
広栄寺文書広栄寺所蔵
多聞櫓文書国立公文書館所蔵
北高木家北高木家関係文書(準備中)個人蔵
多聞櫓文書国立公文書館所蔵
高木家関係関ケ原町歴史民俗資料館所蔵高木家文書関ケ原町所蔵
筒井稔氏所蔵高木家関係文書個人蔵
小寺家文書(ⅡⅢ)大垣市所蔵
沢田村日比家文書名古屋大学附属図書館所蔵
牧田村吉田家文書大垣市所蔵
美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書(2.00~2.06)岐阜県歴史資料館所蔵
木曽三川流域資料河川村絵図名古屋大学附属図書館所蔵
流域絵図(高木家文書以外)名古屋大学附属図書館所蔵
木曽三川改修図名古屋大学附属図書館所蔵
岐阜県治水史資料名古屋大学附属図書館所蔵


■旗本高木家文書

高木家文書デジタルライブラリー

高木家文書デジタルライブラリーは、名古屋大学附属図書館が所蔵する「高木家文書」と各地に分散する西高木家・東高木家・北高木家の旧蔵文書群(旗本高木家は西・東・北の三家があり、附属図書館所蔵は西高木家文書)を登録し、旗本高木三家に関する文書を電子的に統合した形で提供するものである。
また、附属図書館研究開発室では当館所蔵「高木家文書」を中核とする木曽三川流域の資料の総体的把握を目指し、木曽三川流域に伝来する資料の調査・整理・収集も進めており、それらを「流域伝来の歴史情報資源」として、高木家文書デジタルライブラリーと統合した形で情報を提供している。

歴史情報資源の保存とより高度な活用を図るという趣旨を諒とされ、公開を快諾いただいた各所蔵者、関係機関に深く感謝いたします。

TOPへ戻る

◆高木家文書(名古屋大学附属図書館所蔵)

名古屋大学附属図書館が所蔵する「高木家文書」は、旗本西高木家に伝来した古文書群である。名古屋大学では1971(昭和46)年3月に高木家文書調査室を設置し、全学的事業として文書整理に取り組み、1982年度までに5万2409点の整理を終え、『高木家文書目録』巻一~五を刊行した。その後、1989(平成元)年度下四半期から、残された書状・書付類数万点の整理が総合研究資料館の活動の一環として再開され、現在は附属図書館研究開発室が整理事業を引き継いでいる。

旗本・高木家は、もとは養老山地東部一帯に勢力を張る土豪であったが、のちに徳川家康の麾下となり、関ヶ原合戦の功績によって近江・伊勢と国境を接する時・多良両郷(岐阜県大垣市上石津町域)に、高木貞利は2300石、弟の貞友と貞俊はそれぞれ1000石を与えられ、ともに多良郷宮村に陣屋を構えた。高木貞利・貞友・貞俊にはじまる家系は、陣屋の位置関係から、西家・東家・北家と称され、三家は明治維新にいたるまで同地を支配し続けた。高木三家は一名「美濃衆」とも呼ばれ、江戸に常駐した一般の旗本とは異なり、知行地に在住して参勤交代をおこなう「交代寄合」として大名並の殊遇をうけていた。また、江戸時代を通じて木曽三川流域の治水を管掌したことで知られている。高木三家は、寛永年間以降(1624~)幕府の命を受けてたびたび普請奉行を勤め、宝永2(1705)年からは水行奉行の任に就き、年番で家臣を巡見させ、河道維持と治水工事監督を職掌とした。なお、西家の当主は、維新後も同地に居住し、学区取締や郡長・衆議院議員などの公職を歴任した。
文書群の特徴は、以上の高木家の履歴を反映しており、以下の4点をあげることができる。
1 木曽三川流域での治水関連資料が大量に蓄積されていること。これは、高木家が寛永期(1624~)以来、論所見分・普請奉行・普請見廻役といった「川通御用」の役儀を勤めていたためで、流域住民が持続してきた水とのたたかいの歴史を考える上で不可欠の史料群となっている。
2 領地支配文書が豊富にあること。高木家は領地内に居住し、村々と直接対峙したため、支配に関するリアルで濃密な情報を残した。
3 財政関係や家督・日記・交際・家作・吉事・仏事といった家政関係文書が豊富なこと。
4 維新期以降の文書も多く、旗本家の明治維新の乗り切り方や近代地方政治の実態などを窺うことができること。
このほか、領地・戸口・家臣・参府等の勤役関係文書や書状類も多数含まれて このほか、領地、戸口、参府などの勤役関係文書や様々な階層との交流を示す書状類、旗本屋敷の構造を示す屋敷図なども豊富に含まれている。以上のような規模と内容を備えた本文書は、幕府瓦解とともにほとんどの旗本文書が散逸した中にあって特異な存在であり、その資料的価値は計り知れない。
高木家文書デジタルライブラリーには『高木家文書目録』に収録分の登録を済ませ、補遺文書については整理が終わり次第、順次追加登録していく計画でいる。

【目録・報告書】
『高木家文書目録』巻一~五 名古屋大学附属図書館 1978~1983年  ※解題(目録の解題をテキストで公開しています)
『高木家文書調査報告』 名古屋大学附属図書館高木家文書調査室 1972~79年
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の一~六)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』7~12 1991~96年
秋山晶則「高木家文書調査報告(補遺の七~九)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』13~15 1997~99年
秋山晶則「高木家文書調査報告(補遺の十)」『名古屋大学博物館報告』16 2001年
秋山晶則「高木家文書調査報告(補遺11~12)」『名古屋大学附属図書館研究年報』1~2 2003~04年
【参考文献】
『川とともに生きてきた―高木家文書にみる木曽三川流域の歴史・環境・技術』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2001年
『高木家の武』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2015年
『旗本高木家の幕末』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2016年
『旗本高木家の明治維新』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2017年
 『旗本高木家と木曽三川流域治水』 名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2018年

TOPへ戻る

◆高木家文書(新規分)

名古屋大学附属図書館が新たに入手した西高木家文書をまとめた。
天保再建屋敷図 2010年度に古書店経由で入手した新出資料である。絵図には年紀や地名はいっさい記されてなく、古書店の情報では「美濃国加茂郡川辺村 川辺大嶋家屋敷図」とあったが、屋敷地の地形からして西高木家のものであることは疑いがない。近世の西高木家屋敷は、天保3(1832)年3月に類焼し主要な建物をほぼ焼失するも、上屋敷はただちに再建され、当主をはじめとする一家は同年12月に新築の上屋敷に移った。下屋敷とその御門が造営されるのは嘉永5(1852)年である。安政4(1857)年には12代貞広が夫人を迎えるにあたり上屋敷・下屋敷が改修・拡張され、それが明治期まで踏襲される。本屋敷図は、嘉永5年建造の下屋敷が記載されていないこと、大奥北側部分の諸室が安政4改修前の平面構成を示すこと、「表仮門」の記述などから、類焼後の天保3年再建時に関する屋敷図と推定される。なお、安政4年の新規普請後の上屋敷・下屋敷を描いたと比定されるものが、福長氏旧蔵高木家文書に含まれる安政普請屋敷図になる。
徳川御三家直状 2017年度に古書店経由で入手した、高木新兵衛宛て水戸宰相宗翰書状である。内容は年頭賀詞の返翰になる。宗翰は享保15(1730)年に水戸徳川家5代を継いだ御三家の当主である。高木新兵衛は享保16(1731)年に西高木家に養子に入り9代目を継いだ。書状は正月26日付で年号は未記載であるが、両者とも明和3(1766)年に逝去しているので、時期が限定される。水戸徳川家当主から高木家当主に宛てられた直状の挨拶状類は、この他に3通確認されている。

【参考文献】
『西高木家陣屋と高木家文書―西高木家陣屋跡国史跡指定記念―』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2015年
『岐阜県史跡 旗本西高木家陣屋跡 主屋等建造物調査報告書』 大垣市教育委員会 2009年
『岐阜県史跡 旗本西高木家陣屋跡―測量調査・発掘調査報告書―』 大垣市教育委員会 2013年
石川寛「高木三家文書の現状と課題―高木家文書調査報告2013―」『名古屋大学附属図書館研究年報』11 2014年
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の五)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』11 1995年

TOPへ戻る

◆水野家文書

神戸公子氏より名古屋大学文学部に寄贈された、御尊父水野録次郎氏の収集文書のうち、高木家にかかわる史料113点を登録した。水野録次郎氏は、春日井市立図書館長・文化財保護委員などを勤めた郷土文化の研究家で、収集家でもあった。氏の収集品の大半は名古屋空襲によって焼失したが、戦後、絵草紙398種1534冊が名古屋市鶴舞中央図書館に納められた。1979年に亡くなられた後、遺族によって絵草紙・郷土研究資料など約2000冊が春日井市立図書館に寄贈された。この他、約4000点の短冊や拓本類なども残されている。
名古屋大学文学部に寄贈されたのは、水野氏が古書店から購入した古文書である。その概容は、高木家関係の文書113点のほか、鳴海の酒屋下郷家(屋号、千代倉)の田地証文類を中心とする文書529点、幕末の尾張藩の重臣による江戸と名古屋の往復書簡を中心とする文書306点、北区如意の端応寺関係文書7点などで、総計は1225点である。このうち高木家関係の文書は、享保期の美濃国笙ヶ嶽より信濃国浅間山・駒ヶ岳などを見通し見分した際の資料、弘化3(1846)年の高木家の系譜作成にかかわる資料、明治期の旧家臣の願書類などからなる。

【目録】
『高木家文書目録』巻五に収録

TOPへ戻る

◆高木家所蔵文書

西高木家直系のご子孫である貞勝氏(2005年12月没)が戦後も処分することなく保持してきた文書群である。これまで数度にわたる調査により確認した234点の目録を登録した。系譜や由緒書、戒名・忌日の一覧、東家・北家の先祖書写など、貴重な資料が多い。高木家の系図や由緒書など「家」に関わる大切な文書を当主自ら収めた「黒漆文庫」が中心となっている。また、近代の貞正・貞元に関わる文書も残っている。

【目録】
伊藤孝幸「高木貞勝氏所蔵高木家文書」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』10 1994年
伊藤孝幸「高木貞勝氏所蔵高木家文書目録(その二)」(同「高木家文書調査報告(補遺の五)」〔『名古屋大学古川総合研究資料館報告』11 1995年〕に収録)
秋山晶則「高木貞勝氏所蔵目録(補遺)」(同「高木家文書調査報告(補遺11)」〔『名古屋大学附属図書館研究年報』1 2013年〕に収録)
石川寛「高木家所蔵文書目録」(同「高木三家文書の現状と統合―高木家文書調査報告2019―」〔『名古屋大学附属図書館研究年報』17 2020年〕に収録)

【参考文献】
石川寛「旗本西高木家伝来の黒漆文庫の復元」『名古屋大学附属図書館研究年報』14 2017年

TOPへ戻る

◆福長氏旧蔵西高木家文書

福長氏より旧上石津町に寄贈された西高木家文書2219点と屋敷図1枚。寄贈先の旧上石津町の依頼により附属図書館研究開発室が調査・整理に着手した。上石津町が大垣市と合併した2006年度以降は大垣市の所蔵となり、大垣市教育委員会の依頼により調査を継続し、2013年3月に目録の刊行を終えた。文書群2219点は、1957年度に高木家から流出し名古屋大学が買い取った古文書の残りを、福長氏が買い取ったものとみられる。屋敷図1枚はそれとは別ルートで入手されたものという。整理にあたっては両文書群の一体的な把握を可能とするため、附属図書館所蔵文書の目録である『高木家文書目録』の分類項目を適用して目録を作成した。『上石津町史 史料編』(1975年)に「岐阜市大池町 福長渡所蔵」として75点が翻刻掲載されている。

【目録】
『福長氏旧蔵西高木家文書目録』 大垣市教育委員会・名古屋大学附属図書館 2013年

TOPへ戻る

◆西高木家陣屋跡主屋襖下張文書

大垣市による旗本西高木家陣屋跡(大垣市上石津町宮、国史跡)の総合調査において、1896(明治29)年建造の主屋の襖から下張文書がみつかり、附属図書館研究開発室が整理をおこない、4200余を確認した。内容は、西高木家に関係する文書、多芸郡石畑村の山幡家に関係する文書、宗門人別帳の断簡に大別されるが、高木家・山幡家のどちらとも断定しかねる文書が約半数にのぼる。このうち高木家文書デジタルライブラリーには西高木家に関係する文書848点を登録した。当主宛の私的な書状が多いのが特徴である。

【目録】
『旗本西高木家陣屋跡主屋襖下張文書目録(稿)』

TOPへ戻る

◆岡田家文書

海津市歴史民俗資料館へ寄贈された岡田氏収集の古文書群である。その概容は、西高木家に伝来した書状・書付、高須藩士の山内郷右衛門・主馬吉に関係する書状類、その他の文書に大別され、総点数は958点を数える。西高木家文書が含まれていたことから、附属図書館研究開発室において調査と整理を実施し、目録を作成した。西木家に関係する文書は413点あり、当主宛の私的な書状、当主の文化交流を示す学芸関係の書状、家臣の取立・出仕・勤向に関する書付などが含まれていた。

【目録】
『海津市歴史民俗資料館所蔵岡田家文書目録』 海津市教育委員会・名古屋大学附属図書館 2017年

TOPへ戻る

◆筒井稔氏所蔵高木家文書

筒井稔氏が古書店で購入された文書群。総点数は351点。ほとんどの文書が本学所蔵の高木家文書と同じく西高木家関係のものであるが、本来なら東高木家・北高木家が所蔵していたとみられるものが、東高木家分9点、北高木家分2点が含まれる。約三分の一にあたる42点が1700年代前半以前のもので、近世中期までの高木家に関する史実を押さえるにおいて重要な資料となっている。

【目録】
伊藤孝幸「筒井稔氏所蔵高木家文書目録」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』9 1993年

TOPへ戻る

◆名古屋城振興協会所蔵資料

一般財団法人名古屋城振興協会が所蔵する資料より、尾張徳川家の二代当主光友と七代当主宗春が高木家当主に宛てた書状2通を登録した。尾張徳川家当主から高木家当主に宛てられた直状の挨拶状類はこの2通しか確認できていないが、幕藩制期での時候挨拶や吉凶時の挨拶の取り交わしは相当回数にのぼったであろうと推測される。高木家にとっては、御三家当主との直状取り交わし行為が家格(家柄)のひとつであった。なお、「御三家直状」で検索可能とした。

【参考文献】
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の三)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』9 1993年
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の五)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』11 1995年

TOPへ戻る

◆吉備慶三郎氏寄贈文書

吉備慶三郎氏から和歌山市に寄贈された資料より、紀州徳川家当主の治宝・斉順・斉彊・慶福・茂承が高木家当主に宛てた書状5通を登録した。紀州徳川家当主から高木家当主に宛てられた直状の挨拶状類は、名古屋大学附属図書館所蔵高木家文書(補遺)の中に斉彊・慶福・茂承が宛てた4通しか伝わっておらず、これで9通の現存が確認できた。いずれも近世後期の当主であった高木修理もしくは弾正(鉄三郎)宛てになる。なお、「御三家直状」で検索可能とした。

【参考文献】
石川寛「高木三家文書の現状と統合―高木家文書調査報告2019―」『名古屋大学附属図書館研究年報』17 2020年

TOPへ戻る

◆岩須自治会資料

岩須自治会が所蔵する山論裁許絵図と書状を登録した。絵図は、岩須村(西高木家・青木家相給)と馬瀬村・松之木村との間で争論となり、正徳5(1715)年に江戸評定所の裁許となった山論の裁許裏書絵図である。大きさは250×148センチメートルあり、裏に裁許状と奉行11人の署名がある。木箱・紙袋と下絵図1枚が付属する。裁許状は『上石津町史 史料編』(226号文書)が翻刻を掲載している。書状は、数少ない常厚院(高木貞広生母)の書状である。

【参考文献】
石川寛「高木三家文書の現状と統合―高木家文書調査報告2019―」『名古屋大学附属図書館研究年報』17 2020年
『上石津町史 史料編』 上石津町 1975年

TOPへ戻る

◆美濃高木家文書

名古屋市蓬左文庫が所蔵する東高木家文書である。徳川義親が1931年に設立した財団法人尾張徳川黎明会(現在の公益財団法人徳川黎明会)が、昭和の初めに購入し、東京に設置した蓬左文庫の所蔵となった。戦後、1950年に蓬左文庫は名古屋市に移譲され名古屋市蓬左文庫となったのにともない、蓬左文庫に付属していた歴史研究室は徳川林政史研究所として独立する。このとき東高木家文書の大半は名古屋市蓬左文庫の所蔵となったが、一部は財団に残され現在も徳川林政史研究所が保管している。
登録点数は2659点(枝番の付け方で実数は前後する)。御用日記や江戸留守居との往復書状留が比較的まとまって残っており、附属図書館所蔵文書と補い合うものも多い。

【目録】
『名古屋市蓬左文庫古文書古繪圖目録』 名古屋市蓬左文庫・名古屋市教育委員会 1976年

TOPへ戻る

◆東高木家治水文書

東高木家旧蔵の治水関係資料約8000点。旧蔵者である故森川勝之助氏の、研究資料として広く社会に役立てて頂きたいという遺志により、2021年に名古屋大学に寄贈された。宝暦治水の「三之手水行定式急破御普請出来形絵図」や近世後期の「取払絵図」など、西高木家文書にはみられない大型彩色絵図が豊富に含まれている点に特長がある。天保期に整理された文書箱もそのまま残されており、貴重な情報を多数含んでいる。すでに名城大学輪中研究会が一部の解読と分析に取り組み、名古屋大学附属図書館研究開発室でも悉皆調査に着手し、その成果の一部を2004年秋季特別展で公開した。現在、目録作成に向けての整理作業中であるが、先行して貴重な治水関係絵図250件を登録した

【参考文献】
『川とともに生きてきたⅢ―東高木家文書にみる木曽三川流域の歴史・環境・技術―』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2004年
谷口昭「輪中村落の研究 史料編 東高木家文書(一)」『名城法学』48-4 1999年
谷口昭「輪中村落の研究 史料編 東高木家文書(二)」『名城法学』50-1・2 2001年

TOPへ戻る

◆東高木家文書(名古屋大学附属図書館所蔵)

2012年度に附属図書館が古書店から購入した東高木家文書。寛政6(1794)年正月の桜田火事と称される大火によって類焼した江戸屋敷に関する留守居からの報告書綴1冊と、東高木家の在所役人と江戸留守居方役人との往復書状留4冊からなる。留守居方御用状は名古屋市蓬左文庫が所蔵する東高木家文書の欠損を補うものである。

【参考文献】
石川寛「高木三家文書の現状と課題―高木家文書調査報告2013―」『名古屋大学附属図書館研究年報』11 2014年

TOPへ戻る

◆筒井稔氏所蔵東高木家文書

筒井稔氏が1995年に古書店で購入された文書群。その後に購入された4冊(維新期の内廻章留、御日記)を含めて、総点数は126点にのぼる。年貢免状、婚礼・出産関係、近代の所蔵文書貸出関係書類がそれぞれ多く存在する。近年まで東高木家自身によって伝来されてきたと考えられ、年貢免状や多良屋敷図は他ではみられないものとして貴重である。

【目録】
伊藤孝幸「筒井稔氏所蔵東高木家文書」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』12 1996年

TOPへ戻る

◆大倉精神文化研究所所蔵高木家文書

大倉精神文化研究所(横浜市)が戦前に入手した東高木家文書である。点数は枝番を含めると50点になる。元文期の在府に関わる資料、正徳期を中心とした幕府役人奉書、嘉永期の国役金、文久期の江戸留守居方の勘定帳のほか、天正年間の書状写などが存在する。蓬左文庫、徳川林政史研究所が所蔵する東高木家文書との関連性が分析されている。

【目録・参考文献】
宇津木三郎「大倉精神文化研究所近世・近代文書目録」 『大倉山論集』52 2006年
岡崎寛徳「交代寄合東高木家と幕府役人の書状―大倉精神文化研究所所蔵高木家文書(一)―」 『大倉山論集』52 2006年
岡崎寛徳「交代寄合東高木家と天正年間書状写―大倉精神文化研究所所蔵高木家文書(二)―」 『大倉山論集』53 2007年
岡崎寛徳「交代寄合の参府と在府」『大倉山論集』59 2013年

TOPへ戻る

◆國立臺灣大學圖書館所蔵東高木家文書

台北帝国大学時代に日本の古書店から購入した、琉球使節参府御用のための国役金上納に関わる東高木家文書である。現在は國立臺灣大學圖書館特蔵組書庫で保管されている。文書が収められた帙の題簽には「文化四、天保三、至十三、嘉永三 琉球人参府帰国ニ付国役金上納方一件書類」と記されている。当時の台北帝国大学国史学講座は琉球諸島関係の書籍を意識的に蒐集しており、そうしたなかで東高木家文書も購入したものと推測される。保存状態が必ずしも良好ではなく虫喰による固着がみられたので、台湾大学と協力の上で修復を施し、錯綜した内容を整理した。その結果、44点の文書が確認できた(33番には修復できなかった文書が残った、そのため実数は増える可能性がある)。
名古屋大学所蔵文書には、琉球人参府御用の関係文書は、寛延2(1749)年、宝暦4(1754)年、明和元(1764)年、文化3(1806)年、天保3(1832)年、天保13(1842)年、嘉永3(1850)年の7回分が残っている。台湾大学所蔵文書は、このうち文化・天保・嘉永期に対応するものである。なお、東高木家文書の琉球人参府御用の関係文書は、この他には大倉精神文化研究所に嘉永期の4点が残るのみである。

【参考文献】
池内敏「台湾大学所蔵の東高木家文書について(調査概要報告)」『名古屋大学附属図書館研究年報』15 2018年

TOPへ戻る

◆広栄寺文書

岐阜県大垣市上石津町時山の広栄寺が所蔵する文書である。広栄寺に伝来した文書群(広栄寺が作成または授受した文書)のほかに、東高木家の旧蔵になる文書群が伝わっているため、東高木家文書の一環として登録した。枝番を含めると総点数は263点である。
広栄寺が所蔵する東高木家旧蔵文書は、宝暦9(1759)年にはじまり寛政3(1791)年に結着した広栄寺(時山村道場)に関わる争論関係文書が中心をなしている。狭義の広栄寺文書については、本山東本願寺の御印書、本堂類焼と再建に関する資料、寛政9(1797)年から明治5(1872)年にいたる当院(山)記録、檀家の移転や離檀に関する分檀証札などが伝来する。

【目録】
石川寛「広栄寺文書目録」『名古屋大学附属図書館研究年報』15 2018年
【参考文献】
『高木家文書調査報告書』Ⅴ 名古屋大学附属図書館高木家文書調査室 1976年

TOPへ戻る

◆北高木家関係文書

北高木家に関しては、維新後早くに絶家となったため、関係文書は散逸してしまったものと考えられていたが、ある個人宅に3000点を上回る文書が保存されていることが確認された。その特徴としては、①西家文書等では比較的手薄な18世紀初頭の治水関係資料を数多く含むこと、②北家のみならず家臣の家文書も含む複合文書群であること、③旗本財政や幕末維新期の動向を示す資料が存在すること、である。その一部は2003年春季特別展で紹介した。現在、目録作成に向けての整理作業を進めている。
なお、これとは別に、北高木家当主・求馬宛ての書状が小寺家文書のなかに3通伝来している。これらはいずれも裏張りに転用された形跡が残る。明治になり北家屋敷を購入した小寺家が建具の裏張りからこれらの書状類を見出し保存したことで、現在の小寺家に伝来したと考えられている。

【参考文献】
『川とともに生きてきたⅡ―新発見史料・北高木家文書にみる木曽三川流域の歴史・環境・技術―』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2003年

TOPへ戻る

◆多聞櫓文書

国立公文書館内閣文庫多聞櫓文書に伝わる高木家関係文書である。内容は幕末期に高木三家が幕府へ提出した文書が中心で、高木家文書目録の分類にしたがい内訳を整理すると、一つには初目見・仮養子関係を含む参勤交代に関わる文書が12通ある。二つには明細書である。西家の経貞・貞広、東家の貞教・貞嘉、北家の貞郷・貞栄のものが計10枚ある。三つには高木貞教の隠居、貞嘉の家督相続に関わる文書1通である。四つには江戸屋敷に関する文書4通である。西家の江戸屋敷の相対替、北家当主貞栄の参勤中の居場所が東家の元山王屋敷から西家の麹町貝坂屋敷に替わったことがわかる。五つには高木三家の当主が大老または老中にあてた呈書である。将軍家の法事・昇進・上洛、年頭の祝儀、改元、新帝践祚などの際の挨拶状・機嫌伺い状を75通確認した(他に上記の参勤や家督、家作に分類した呈書が6通ある)。

【参考文献】
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の五)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』11 1995年

TOPへ戻る

◆関ケ原町歴史民俗資料館所蔵高木家文書

関ケ原町歴史民俗資料館が所蔵する高木家文書。総点数150点のうち、高木家との関係が現時点では明確でない文書18点を除く132点を登録した。大半を占めるのが元禄国絵図作成に関する文書・絵図である。高木三家のどの家に属する文書群であったのか不明であるため、高木家関係とした。

【目録】
石川寛「関ケ原町歴史民俗資料館所蔵高木家文書目録」『名古屋大学附属図書館研究年報』12 2015年

TOPへ戻る

◆筒井稔氏所蔵高木家関係文書

筒井稔氏が1995年に古書店で購入された村方文書9点。多良郷の小山瀬村や上原村から高木家役人中に提出されたものの村方控と考えられている。

【参考文献】
伊藤孝幸「高木家文書調査報告(補遺の四)」『名古屋大学古川総合研究資料館報告』10 1994年

TOPへ戻る

■小寺家文書

旗本・西高木家の旧家臣の家筋にあたる小寺家に伝来する文書群。約9000点。旗本家臣家に伝来した資料として貴重であり、かつ主家であった西高木家の高木家文書と併せて旗本主従の相互関係を検討できる点で稀有な存在である。小寺登家の家系は、古文書の上では小寺助左衛門知雄まで遡ることができる。小寺助左衛門は、源次兵衛の名乗りで明和年間(1764-72)の高木家文書にその名前がみえ、家臣団名簿にあたる「御家中士帳并御役附」からは、安永9(1780)年御用人として再勤、寛政9(1797)年に御家老格となったことが確認できる。助左衛門は牧太雄乗、平八郎紹雄の兄弟を儲けており、家督は兄の牧太が継承したとみられる。この牧太の家系に対して、平八郎紹雄にはじまる分家が、古文書所蔵者の小寺家につながる。平八郎(はじめ富五郎)は享和3(1803)年4月に新規に御中小姓として西高木家に召し抱えられ、御近習、御給人格・御近習頭兼帯、御側御用人格を歴任し、御山奉行や御作事奉行なども兼帯した。山林支配・用材の採運を目的とする御山奉行は甥の勇や息子の林平も兼帯しており、小寺家の高木家家臣としての主要な任務であった。平八郎の家督は林平が継ぎ、御近習として明治維新を迎えた。林平の跡を継いだ長男の弓之助は安政元(1854)年に生まれ、昭和まで長寿を全うした。弓之助ははじめ警察官となる道を選び、1896(明治29)年からは多良村の助役を16年にわたって勤めた。その後も区会議員や耕地整理組合の評議員を勤めるなど、地域社会の発展に尽力した。
小寺家文書を整理するにあたっては、その内容から〈Ⅰ高木家文書目録の分類を適用した文書〉、〈Ⅱ近世文書〉、〈Ⅲ近代文書〉に大別した。小寺家文書には、本来であれば主家高木家に伝来すべき古文書が少なからず混在していた。これは小寺家が高木家へ家臣として出仕していた事実が大きく影響している。高木家の家中であった同家が、主家と文書を「分有」していたと捉え、『高木家文書目録』の分類を適用できる小寺家文書には積極的にその分類番号を与え、両者が密接に関連する文書群であることを明示した。適用した文書は466点に及ぶ。この〈Ⅰ高木家文書目録の分類を適用した文書〉は旗本高木家文書として、〈Ⅱ近世文書〉、〈Ⅲ近代文書〉を小寺家文書として登録した。近世文書に分類した文書は962点あり、平八郎・林平時代の「家の文書」が主要な内容となっている。近代文書は全体の8割以上を占める。明治前期の警察関係や家族の暮らし、特に大量に現存する女性たちの書状は戦前の女性の生き方を知る貴重な存在となっており、今後の活用が期待される。
2022年1月に小寺氏から大垣市に寄付された。

【目録・参考文献】
『小寺家文書目録』 名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室、大垣市教育委員会 2012年
『旗本高木家主従の近世と近代―高木家文書と小寺家文書』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2009年

TOPへ戻る

■沢田村日比家文書

日比家文書(故・日比達男氏所蔵文書)は、美濃国石津郡沢田村(現岐阜県養老郡養老町沢田)の庄屋や旧養老村の村長などを勤めた豪農・日比家に伝来した古文書群である。もっとも古い年次の文書は、寛永8(1631)年霜月朔日の「多芸郡沢田村未之年免定之事」で、写しではなく原本である。もっとも新しい年次の文書は、1950(昭和25)年7月付の「沢田区有山林譲受ニ関する規約」である。少なくとも319年にわたり蓄積されてきた文書群であり、点数は6096点にのぼる。日比家に伝わる系図・先祖書によると、同家は、天正2(1574)年に没した八左衛門を初代とし、文書寄贈者である故・達男氏を16代とする。達男氏は、本学の地域貢献事業、とりわけ、木曽三川流域資料の収集・研究業務に深い理解を示され、去る2005年秋に、貴重な古文書を一括して本学へ寄贈された。

【目録・参考文献】
『日比家文書目録』 名古屋大学附属図書館研究開発室 2011年
『江戸時代の村と地域―美濃養老・日比家文書にみる暮らしと災害―』名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室 2006年

TOPへ戻る

■牧田村吉田家文書

吉田家文書は、美濃国石津郡牧田村(現岐阜県大垣市上石津町牧田)の吉田家に伝来した、9000点近くにのぼる資料群である。2012年に、古文書、典籍、掛軸、民具類が一括して大垣市へ寄贈され、大垣市から委託を受けた名古屋大学附属図書館研究開発室が整理した。資料群は、江戸中期から戦前期までの牧田村の行財政、人口動態、交通、土地、治水、山林、他村との争論、教育環境、地域医療など、多彩な内容を含む。なかでも、牧田川治水・利水関係資料と文化活動に関する資料が豊富に存在し、文書群の特色をなしている。治水・利水については、17世紀後半以降の牧田川からの引水をめぐる争論や18世紀以降の川普請に関する文書と絵図が充実している。吉田家の文化活動に関する資料は、江戸時代後期から明治時代にかけての当主であった吉田重好、重義、時叙が文人として活躍したことから、蔵書をはじめとして文化や信仰に関する資料が豊富に存在し、西濃の地域社会・文化の様相を系統的に考察することが可能である。

【目録】
『吉田家文書目録』 名古屋大学附属図書館・附属図書館研究開発室、大垣市教育委員会 2019年

TOPへ戻る

■美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書

美濃国と伊勢国桑名郡の幕領を支配する美濃郡代の笠松陣屋には、高木家とともに木曽三川流域の河川工事や河川管理を担った堤方役が置かれた。その資料群は、維新後は県庁で保管され、戦後、岐阜県図書館に移管となり、現在は岐阜県歴史資料館で保存・公開されている。総数は約7400点余に及び、各地の治水・利水の歴史を跡づける貴重な絵図が多く残されている。また、引継過程で一括されたと思われる、明治期の治水・輪中・用水に関わる岐阜県資料も合わせて残っている。
目録は、2・0水行奉行、2・1尾勢海口輪中、2・2高須四ヶ輪中、2・3杭瀬川右岸附、2・4木曽川附、2・5森部福束、2・6長良川附、2・7伊尾川附、2・8郡上飛騨川附、2・9可児土岐川附 に内容を大別する。このうち、2・0水行奉行 のなかの 2.00普請所取調、2.01国役普請、2.02取払普請、2.03川通絵図、2.04大榑川口洗堰、2.05油嶋喰違堰、2.06治水行政 までを先行して登録した。

【目録】
『美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書目録』 岐阜県立図書館 1963年
『美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書絵図解説目録』 建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所 1985年

TOPへ戻る

■木曽三川流域資料

附属図書館研究開発室が収集した木曽三川流域および濃尾平野の河川絵図および資料。次の項目にまとめた。
(1)河川村絵図 2013年に古書店より購入した美濃国大垣・加納・長瀬筋・河川村絵図25枚。明和・寛政頃の根尾川山口辺りの普請や莚田・真桑用水の番水に関する絵図、長瀬・池田・柳川・多芸筋の絵図、御見取場所絵図などからなる。
(2)流域絵図 高木家文書以外の河川絵図を集めた。近世後期と推定される木曽川通図・西海辺土取場絵図・天白川通東海辺共図、信濃国の王滝川との合流点から尾張国熱田の白鳥までの木曽川の川並を描いた木曽川丈絵図、天明3年の庄内川御冥加普請について記した『御冥加普請之記并図』、明治以降の多芸郡有尾村普請絵図・大藪村川並絵図面・安八郡治水要図などがある。また、附属図書館が所蔵する徳田村岩田家文書から境川沿い往還新築図も登録した。
(3)木曽三川改修図 明治以降の木曽三川改修工事に関する絵図。明治期の木曽川下流工事の計画図・竣功図、大正期の上流実況図、西南濃河身改修手続書などがある。
(4)岐阜県治水史資料 『岐阜県治水史資料』全15冊。『岐阜県治水史資料綱文』全5冊とほぼ同内容であるが、『綱文』では冒頭にあった「岐阜県治水史資料綱文に就て」が『資料』では末尾にあるなど、掲載資料の配列に一部相違があり、草稿かもしれない。『岐阜県治水史資料綱文』は『岐阜県治水史』編纂に際し収集した資料の一部をタイプに取り謄写版としたもので、『岐阜県治水史』の脱稿に先立ち昭和17(1942)年3月に作成し、関係者に寄贈した。

TOPへ戻る